歌詞

・・・「歌詞」ってさ、音に乗せられるとスラスラと語られてしまうけど。
その、一文字一文字のあいだにも、いろんな、ほんとにいろんな想いが映し込まれてる。
だけども、なんつーのかな、その言葉が「ことば遊び」みたいに軽んじられてしまう部分があると思うのね。
だから、あまりにポピュラーになり過ぎた曲なんかは(結構誰でも知ってるような曲ってことかな)、
その歌詞の持つ深いところまでの愛情や感情も薄れてしまうように思えるのね。
やっぱりいろんなひとのあいだを行き交うあいだに、薄れていってしまうのかな?
なんでそう思うかって、私がそうだったから。
「グロリアス」とか「HOWEVER」、「BELOVED」、・・「winter,again」もそうかな。
私の場合、ほんとに歌詞を「覚えて歌うもの」くらいにしか思ってなかった感があるので、
その歌のもつ物凄い空気感すらもないがしろにしてたかもしれない。
もう悪く言えばニブちんだったから、「愛ってなあに?」状態だった(笑)
言葉の意味もあまり理解しようともしてなかったみたい。
「いい歌なんだよー」と言われても何がいいのか判らない。(笑)
うーん、良く考えなくても馬鹿ですな。
っていうか、感情のどっか、欠けてたんだよ、私。
どこにも現実感がないような、感覚に靄がかかったような「言葉」をうのみにしてた。
そこにある「想い」が「言葉」になってるんだ、ってこと、何も判ってなかった。

そのへんを理解し始めたのが、「HEAVY GAUGE」聴いてからだったかな。
直接は関係無いかもしれないけど、そのへんからちまちまと言葉魂(謎)が開眼し始めて。
それまで、言葉を軽々しく扱ってた自分に呆れたね。
「ああ、この言葉はこう言う意味なのか・・」と、ホントの意味で「理解」できたから。
だって、そんなの辞書で引いて、そこに書いてある文字の意味を理解したとしたって、
心で判らなきゃホントには判らないじゃない。

それから、さっき言った「いろんなひとのあいだを行き交うあいだに、薄れていく」
その逆ももちろんあるんだってことを教えてくれたのも兄さん達で。

つまり、「いろんなひとのあいだを行き交うあいだに、いろんな想いがのせられていく」ってこと。
もともとそこにあったうたよりも、大きなちからを持ったうたになる・・
GLAYさんを知っていくまでは、こういうことが有り得るって判らなかったから・・。

だいじに思う気持ち、教えてくれたのは兄さん達なのよ。(照)

音そのもの、声そのものが「愛しい」し、
ライブで、あの場に居た、あの瞬間が「だいじ」だし、
歌詞ひとつひとつ、こんなにだいじに思えるのも(私にとっては)兄さん達だけ。
まあ、FANの戯言だと笑ってやってくださいな。
でもこう思うんだもん、本当に。
もちろん、ここまでに書いたこと全て、GLAYさんだけに限ったことじゃないのは判ってます。
でも、やっぱり自分にとっての「特別」になっちゃってるんだよね(苦笑)。

うーん、凄いなあ。
改めて、言葉のもつすごいパワーを痛感させられます。
「言葉」としてじゃなく、「歌詞」としてのちからも。

信じたい。