"HEAVEGAUGE”


ずーっと語りたくて、暖めていたネタ。
でもその度に巧く言葉に出来なくて、断念してばかりいました。
・・今日こそは!というわけで、BGMもヘビィゲイジで気ままに語ります。

あたしはこのアルバムが好きです。
このアルバムにおさめられたひとつひとつの音が好きです。
あたしはこのアルバムの、なんだかとても意味のあるように思える曲順が好きです。
このタイトルのついたツアーが好きです。例え一度しか足を運んでいなくても。

どうしてだろう、と考え出すとやはりそこには
"音"としてはじめて触れたGLAYの音楽があったからだと思います。
丁度このころ私は、吹奏楽部なんぞに入って1,2年ほど経って、
すべての"音"ってものに対しての興味が大きくなっていた頃だったのです。
そんな時期にこのアルバムばっかり聴いてたので
きっとそれが自分にとっての「一番心地良い音」になってしまったのでしょう。

極端に言えばこの時期繰り返し聴いてたのが
もし今現在嫌ってる音だったとしたら、
それが一番大好きになってたかもしんない、つーことです。
あら単純。でも本当にそれだけのような気がするなあ。

それ以前にも、何度も書いてますがGLAYの音に触れる機会はあったものの
なんと言うか、音楽ってものに興味がなかったんですよ・・
聴覚としてとらえていても、身体には入ってこない、只の雑音だった(言い方悪いけど)。
TVから流れてきたり、ラジオから、そして自分以外の誰かが聴いてる、ってだけの、
只の日常の音だったんだな。
ああ、そうか・・今書いてて判ったけど、「興味」これがネックなわけね(笑)。
興味=好き、になっていっただけのことなのか。

実を言うとGLAYさんのアルバムの中で、音だけを聴いて
「うわぁかっこええー好きだー!」ってなにもかも抜きにして思えるのって
このアルバムだけだったりするんだな。その原因は↑こういうことだったのか。

このアルバムを作っていた当時、GLAYさんはそれはそれは過酷な時期だったと言うのは
まあ聞いて知ってはいるんですけどそれと「好き」とは別問題なんだよなあ。
(そのころ私は脳天気なファンだったし)
でも正直このアルバムを聴くときそれはあまり意識にないな。
やっぱりそれがただ「好き」ってことなんですかね。

なんだろう・・このアルバムにおさめられてる感情のひとつすらも好きなんだよね。
迷いや苦しみや、自問自答、与えられては奪われていくもの・・・
もちろん一番最初に聞いたときは只の音だったわけなんだから、
そんなこと感じもせずに流していたけど。
でも実際こういうことを考えて聴くようになったのは、
間違いなくこのアルバムを聴いてから、なんですよね。

「教えてくれた」とか言うとなんだか在り来たりで陳腐な言葉に思えるけど
でも、それ以外に言い表しようがない。
印象が強すぎて、そこにある言葉が全部、自分の中に刻み込まれていった。
きっとそれが、それまで自分の中に全く無かった言葉だったからなんだろうな。
もちろん言葉としてだけあの人の詩を捉えていた頃と、
実際に肌で感じてからの感覚とは全く違うから、正確に言えば自分で学んだのかしら。
でもなあ、TAKUROの言葉が無かったら、今の私はここに居ない。間違いなく。
それ以上にこのアルバムが無かったら、ですね・・・。

そんで、何度も話には聞いていたけど行ってなかったライブってものに
初めて足を運んで・・とにかくもう、生には圧倒された。
想像の範疇からなんてもうスッコーンと抜けちゃった。
お陰で逆に印象強すぎて、ずるずる余韻引きずりっぱなしでしたけど(苦笑)。
TAKUROに惚れたのもあのライブに行ってからなんだってば。(笑)
ヘビィゲイジからあとしか「実際に」は見てないですが、
あの人はこのツアー以降妙に格好良くなったと思うんだよね・・

話反れてるよ。

まぁ、きっと好きの理由は、自分にとって何もかもが初めてだったからなんでしょう。
でも曲への思い入れは、実を言うとこのアルバム以外の曲の方が強かったりするんです。
多分、このアルバム、自分の中で美化って言うか理想化されちゃってて、
リアルに考えようとしてないんだろうなって・・
きっと、自分のイメージする「格好良さ」つうもんが、全部これに凝縮されてんだ。
でもまあ、一枚くらいはそんなCDがあってもいいじゃないの(笑)。

とにかく、私はこのアルバムが、そしてそれに関する全てが大好きです。

20030811 藍葉