コンポーザーでありギタリストである彼のこと。
お久しぶりなこのコンテンツの更新。
何について語ろっかなーと色々考えてたんですが、
消す前はマニアックなwtk分析コンテンツがありましたが(苦)、
ここthinkは「GLAYについて考える」ところなのに
メンバーについてのことひとつもないなーと思いまして(笑)。

で、「メンバーについて」の一回目は
我らがリーダーTAKUROさんについて語りたいと、思います。
基本的にベタ甘ベタ誉めなんで・・
そういうのに耐えられないひとにはお勧めできません(苦笑)

私はTERUファンですがTAKUROファンでもあります(笑)。
コンポーザー・・というか、「詞を書くひと」として注目されがちな彼だけど
私は「ギタリストTAKURO」がめちゃくちゃ好きです。
ギターというものを意識するようになったのも、彼のアコギからだったりするし。

愛用ギターの黒ギブソン姿が一番好きです。見るのも描くのも(笑)
このひとはカッコつけようとして弾いてるときより
何気なく・・ホントに何気なくフレーズ弾き終わったあとの仕草とかが
たまらなく格好いいと思います(笑)
まぁもちろんキメキメなポーズ決めてても格好いいんですけどね
仕草から次の仕草に流れる瞬間がとてつもなくセクシー。(マニアックだよ)

外見的なこと言うならルックスすごい好きですよ(笑)
絵描いててもすごい特徴的だから描きやすいし。(・・でも描けてない・死)
猫背具合がギタリストっぽくて、手足も指も長くて細いのでシルエットがカコイイんだ。
歩く姿がサマになるよね。すてき。

音もね・・HISASHIのギターが華だとするなら、
TAKUROのギターは叫びに聞こえる。
でもそれが好きです。すごく人間味のある音だと思う。
その音が音楽の一部として昇華されたとき、素直に格好いいなと思うんだ。毎回毎回。
「キレイな音」よりこういう音の方が私は好き。

んでさっきも言いましたが私がギターってものを意識するようになったきっかけ
「TAKUROさんの弾くアコースティックギター」。
これが、GLAYサウンドの中で私が2番目に好きな音(笑・一番目は言わずもがな)。
エレクトリックよりもそのひとの温度が出ると思うのです。
(フレットノイズフェチだと言うことはここでは置いとこう)
で、ライブでもどんなときでも、これを弾いてる時の彼ってたぶんかなり素に近い、と思う。
だからこそ、その姿は「彼そのもの」に見えるんです。

つうかTAKUROさんってほんと全部、見せてるものぜんぶ「そのまんま」だよね(苦笑)
それが痛々しく見えるときもあるんだけど、そんな彼が好きだ。
と言うかそれってよく考えるとすごいことだよな。
・・・相当の・・覚悟がなきゃ、そんなこと、できない。
それが彼の強さであって、スゴイとこだと本当に思う。

で、それが一番色濃く出ている「うた」。
哀しいくらいまっすぐで、不器用で、優しくてあったかい。
たぶんこの形容も彼自身に当てはまってしまうんじゃないだろうか。
彼の、まっすぐすぎるほどの、自分の回りのものへの「情」に触れると
どうしてだか哀しくなる。それはもう色んな意味で。
知らなくていいことまで知ってしまったような、哀しさや
もうそればかりはどうしようもない、諦めのような覚悟。
でもそういうものを知ったうえでの優しさ・・・
・・言葉の端々が優しいから、その優しさに救われる。
きっと、私が彼のうたに惹かれる理由はここにある。

知ってしまっても、それに対してまっすぐでいられる、って、
なかなかできないことだと思うんだな。
TAKUROさんのはんぶんくらいしか生きてない私ですら難しい(というかできてない)んだから、
あのひとが「そうであるために」してきた努力ってものすごいものなんだろうなーと思う。

「そうでしかいられない」のかもしれないけど。
それが不器用さかもしんないね。
でもきっとその不器用さを愛してる人は多いんじゃないかと思う。
そこに共感を覚えたり、好きだって思ったりするんじゃないかな。

「哀しくなる」とは書いたけど、その思いもだんだん変わりつつある。
「諦めのような覚悟」の「覚悟」の部分に、でっかいポジティブさを感じるようになった。
まあきっと私がこのことに気付く前から、TAKUROさんの歌には常にそれがあったんだろうけど。
これ、私がGLAYを好きでいるうえで、一番影響を受けた部分だったりする。

ほんとねー白状するなら、私GLAYに出会うまではものすごいダメ人間でしたから(苦笑)
今もそんな立派な人間じゃないけど、「前向きさ」ってもんを手に入れられたのはおっきい。
こんなふうに人1人を変えるくらいの力があるんですよ、あの言葉たちには。
まあ前向きでいることと笑顔でいることの素敵さを教えてくれたのは
もう1人・・片割れの方でもあるんですが(笑)それはまた今度。

結構前に
「私がGLAYを追うのは、究極的には彼の言葉を聞きたいからかもしれない」
とか書いたんだけど、今もそれは変わってないと思う。
できる限り、GLAYのうたにある、いろんな強さを見ていきたいから。

「共感」というよりは、「気付かされる」ことのほうがすごく多い。
そのことひとつひとつを実感すると、すごく泣きたくなる(苦笑)。
哀しさもあるけど、嬉しさとか心強さで。

そんな思いをくれるTAKUROさんの「うた」が、
つまりはTAKUROさん自身が、やっぱり大好きなんです。
これも多分、ある愛のかたちなのかな。
いろんなことが変わっても、これだけは色褪せない。そんな気がします。

20040418 藍葉